「かわいい」には死の要素はほぼない。「きれい」には少しある。「美しい」とは死と生の混濁だ。
俺のねーちゃん関西で国語の教師やってんだけど、先月新しい担任受け持ったんだ。4年生。
で、そこで「虎王人」って名前の男の子がいたんだと。仮に苗字は田中としとく。
流石に読めなくて、本人に聞いたんだ。姉:ごめんなさい、田中君。下の名前を教えてくれる?
田中:…
姉:…?
田中:……れおと
姉:れおと君、ね。教えてくれてありがとう。微妙な沈黙の後、聞き取るのがやっとな大きさでぼそっと教えてくれたって。
で、後日その母親が
「ウチの子供の名前が読めないのか!」「本人にわざわざ嫌みったらしく確認したのか!?」って。
子供に謝れってれおと君同席で校長室に乗りこんできた。
そりゃ読めないだろ…。校長も「いやまあ、大変個性的なお名前ですし…」
と当たり障りなく濁してたが姉がメモに「開闢」って書いて姉:この言葉の読みと意味を御存じですか?
田中母:なんなのよ関係ないでしょ知らないわよそんなの!
姉:「かいびゃく」と読みます。物事の始まりを表します。ではこれは?
田中母:さっきから何なの!?
姉:「きょうじ」と読みます。プライドの事です。423 おさかなくわえた名無しさん [sage] 2012/05/09(水) 18:42:05.54 ID:U2acs93m Be:
姉:これら辞書に載ってる様な言葉でも、難読なものは沢山あります。
しかし載ってるから意味も読みも調べられます。
ですが人それぞれである名前において、一般的ではない仮名をふって、
読める読めないがありますか。
今はまだ良いですが、これから先、レオト君にとってこのやり取りは
恐らくずっと続く事になります。
お母様がどれだけ立派な意味を名前に託されたとしても、それが人に伝わらなければ
独り善がりに過ぎません。
私たち他人相手に限った話ではありませんよ、れおと君に対してもですよ。
こういった不便な思いをするのは彼本人です。
本当に彼の事を考えて名前を決められたのですか?大まかにこんな感じの事を言ったんだ。母親が怒り狂って「あんたねええ!!」と
姉に組み付こうとした時、それまで俯いて黙ってたれおと君が、「いい加減にしてよ!俺が昨日言ったのはこういう事させる為じゃねえんだよ!
先生だよ!?学校の、国語の先生でも俺の名前読めないんだよ!?
そんな名前で、俺が今までどんな思いしてきたか、お母さん今まで一度でも
聞いてくれた事あったかよ!?」要は、姉が名前を尋ねた日の夜に、れおと君は母親にぽそっと「先生にも名前読まれなかった」
とこぼしたらしい。
本人は母親への皮肉と言うか反抗と言うか、名前に対する不満を表す意味で告げたらしいんだけど
当の母親は「息子が名前を読んで貰えず落ち込んでいる!許せん!」となったらしい。
で、正しい意図も伝えられず勢いに押し切られたらしい。
今までも相当押さえつけられてたんだろうなあ。母親はそれ以上は流石に何も言えなかったらしい。
何で突っかかるような真似したの?と姉に聞いたら、
名前を尋ねた時の反応で何となく、コンプレックスの様なものを感じたらしい。
で、それまでの担任や関わった教師にそれとなく聞いてみたら、
本人は名前に苦痛を感じてるらしいと。
まだ10かそこらの子供にこんな辛い思いさせやがって!と親に対して憤懣やる方なかったんだと。救われねえなあと思ったよ。
小沢君は私達に課題に残していった。
思っていることを形に残すこと、自分の言葉で表現すること。
それは日頃しないことだった。
色んな声がサイトを飛び交う。
タンブラーの繋がり、twitterでの繋がり。
喜びを他の誰かと分かり合うことってこういうことなんだろう。
誰かの投稿が掲載される度に、胸躍らせてる自分がいる。
文章を読むと、あたかも自分が体験したような気持ちになった。
夢のようなライブを思い出したい時に、タンブラーを覗いてみる。
現実の世界から、小さな逃避行。
記憶が蘇る。音楽が流れ出す。喜びが満ち溢れる。幸せのループ。
日常に戻る際に、思い出を少しだけ連れて行く。
ありがとう。あなたと出会えたことで、日々が、毎日が楽しい。
これはなんだろう?絵?コースター?きれい!
布に模様を染めて、画像をPCに取り込んでイラスト描いたものです。(^^)
RySah (JPEG 画像, 961x720 px) - 表示倍率 (98%)
「ある大学に貼られていたという,ちょっとカチンとくる貼り紙」
(https://twitter.com/#!/okaguchik/status/200742752575692800)
曲がった矢印のキーがReturnキーと呼ばれていた頃はすぐに現実に帰ってこれたのに、いつのまにかEnterキーになってしまったのでみんなパソコンの世界に入り込んで戻れなくなった
Twitter / ishikawa_daiju: 曲がった矢印のキーがReturnキーと呼ばれていた頃 …
落語か?
(via tnoma)
(via otsune)
(via yellowblog)
(via nemoi)
キャッチコピーのチェックリスト
【1】読者にメリットがあるか?
【2】読むための緊急性があるか?
【3】ユニークか_
【4】これ以上ないぐらいに具体的に書いているか?
【5】文章を読むだけでも得られるものはあるか?
【6】信頼性と興味を引きつけられているか?
【7】読者が既に持っている欲を、つよく刺激しているか?
【8】読者が、うなずきながら読んでいる姿を想像できるか?
【9】セールスポイントが伝えられているか?
【10】ほかにもっと加えられる要素はないか?
スーパーの買い物袋を下げている時、袋の中身にキャベツや大根が入って重たいなと思う。重たいから、じゃあどう持とうか。指先で握る、手首に引っか ける、曲げた肘にかける、思いきって肩まで上げちゃう。全部、重さは変わりますよね。物理的な重さは変わっていないのに、重さの感覚は変わる。重たい物は 軽く持つことができるんです。
<p><br>ところが、私たちは自分のクセで、いつもの場所に持ってしまう。そして袋の中身を考えて「重たい、重たい」と連発する。身体と仲良く付き合うためには、 まず、いつのも場所がどこなのか、自分のクセに気付いていくことから始まるんですね。それから、その日の自分と荷物において、どこで持つと程良い関係にな るのか探ってみる。指で持つなら、どの指に気持ちを向けたら軽く感じるのか、どの指で持つと逆に重たくなってしまうのか、その指は身体のどことつながりが ありそうなのか。そして、その指を観ている私は誰なのか……。もう、観ているのは目玉ではないでしょう?
すると、日本の文化にも「重たいものは軽く持つ」「軽いものは重たく持つ」という工夫があちこちにされていることにも気付いてくる。外側の形だけ見てい ても分からなかったことが、自分の内側に眼を向けることで、型に潜む感覚に出会える。または、その感覚に添って発生した動きにのっていった時には、美しい 型になるという不思議さもある。つまり、それは必然としてのフォームだったと。否応なく、日本人の血が流れている身体を持つと、その独特の身体感覚が育ん だ日本の文化、型と共にある自然観って、スゴイなと思う。
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